2021-03-23 第204回国会 参議院 外交防衛委員会 第4号
それはさておき、次の六番でございますけれども、一方で、このアメリカと中国のこの緊張状態を冷戦状態に例えるような議論もあるわけでありますが、ただ一方で、中国とアメリカはお互いそれぞれ最大規模の貿易相手国であるわけでございます。
それはさておき、次の六番でございますけれども、一方で、このアメリカと中国のこの緊張状態を冷戦状態に例えるような議論もあるわけでありますが、ただ一方で、中国とアメリカはお互いそれぞれ最大規模の貿易相手国であるわけでございます。
ただ、一方で、今に至るまでのこの間に、もちろん、敗戦によって占領状態があって、その後すぐに今度は朝鮮戦争があり、その中で冷戦状態が生じて、ベトナム戦争もあり、いわば戦時下における協力体制というものがずっと続いてきてしまったという状態がこの戦後何十年かの状態であった、それがいわば固定化された状態になってしまっているというのが、戦後七十年たった今の状況ではないかなというふうに思っております。
日本と朝鮮半島の歴史といえば、一九〇五年の保護条約、一九一〇年の日韓併合、そして一九四五年、日本が戦争に負けて、冷戦状態の下で南北分断、そして朝鮮戦争、そして今に至るという大きな流れがありますけれども、その歴史の中で、戦争が終わったときには、シベリアから日本軍兵士が日本に戻ってこようとして途中でせき止められて朝鮮半島にいなければいけなくなった。
東芝機械が共産圏へ輸出された工作機械によってソビエト連邦のいわゆる潜水艦の技術の進歩に大分貢献したんじゃないかというようなことで、アメリカ軍に潜在的な危険を与えたとして日米間の政治問題に発展した大事件でもありましたが、当時は冷戦状態という時代でもありまして、我が国は武器輸出三原則という明確な縛りもあり、比較的外為法違反事件への理解も容易であったとは思います。
このスノーデンという者の事案が起きてからは、恐らく、昔のスパイ事件、いろいろなスパイ事件が冷戦時代にありましたけれども、冷戦が終わったと言われていますけれども、冷戦はバブル期に深く潜っていたかもしれませんけれども、逆にこれで明確に、冷戦状態は継続されている、二十一世紀の、ちょっと形を変えているけれども、新たな冷戦構造であるという緊張感を持って、私たちの国は、このスノーデンのイシューというものをしっかりと
はるか半世紀も前の、まだ米ソ冷戦状態の時代から、アジアの平和と繁栄のために日中国交回復をなし遂げようと、どれほど多くの先人たちが努力をなされてきたことか、多くの民主党の諸君はほとんど御存じないと思います。 自民党や公明党の大先輩たちは、日中国交正常化の井戸を黙々と掘ってこられました。
第二次世界大戦終了後は、御存じのように、東西が冷戦状態に入りました。その後、冷戦が終了後は、国連開発機関の役割が、開発のみならず、地域紛争や難民の問題など、特に安全保障の領域に広がってきたように思われます。国家の安全保障はもちろんでありますけれども、個々、いわゆる人間一人一人の安全保障も考える必要があるわけであります。
はっきり申し上げて、隣、一番近い、近くて近い中国が、経済分野においては非常に大変な日本に影響力のある状態をつくり、政治は冷戦状態だと言われている。ですから、このことにもっとしっかりと、幾らお題目を唱えて、国連常任理事国入りを幾ら望んでいても、その五カ国がみこしを上げない限り進まないわけでありますから、こういう一連のことを含めてしっかりとしておいてほしい。これは要望しておきます。
ただ、条約締結当時は、旧ソ連とアメリカの両大国間の冷戦状態に突入という国際情勢の中、日本が好むと好まざるとにかかわらず、この苦渋の選択をのまなければなりませんでした。しかし、この条約で、日本は建前上、非核三原則を標榜しながら、その実、アメリカの核の傘に組み込まれ、そのために、日本は他国から戦争を仕掛けられることもなく、高度経済成長をなし遂げたのだとも言えます。
私は、国際情勢的に言えば、昔の冷戦状態と比べて、大きな紛争が起こる、国際的な紛争が起こる、それはなくなったんじゃないのかなというふうに思います。そういう中で、意識もだんだんと変わってきている、特に我が国の国民の意識も変わってきているんじゃないかなというように思います。 ですから、確かにその同盟という、日米同盟で問題になったという、そういうときもございました。今から二十数年前になりますね。
しかし、第二次世界大戦の後、米ソの対立による緊張した冷戦状態が長く続き、その間にベトナム戦争などのような悲惨な戦争が幾つもありました。 その冷戦がソ連の崩壊により終結をして、いよいよこれから世界は協調と共生の時代、平和の時代が来ると期待されましたが、冷戦の終結から十年、世界の各地で地域紛争やテロ事件が数多く発生し、また核兵器の保有国もふえ、さらに核兵器が広がる危険が出てきております。
しかしながら、現在の日本の国際情勢は、特に米ソの冷戦状態が変わってから、急激に変化の兆しを見せております。周りを見ますと、宗教、領土、民族の問題を抱えた国々、また、国の浮沈をかけてせっせと核開発をしている、そんな国など、世界の平和に対する足並みはそろっていないということも実情であるようであります。 私は、戦争に対する考え方として、自分の体験を申し上げたいと思います。
○今村分科員 冷戦状態が崩壊をしたにもかかわらず、部隊そのものを引き揚げるという状況ではない、こういうお話のようであります。 ただ、一般の人たちから見ると、そう言われても、その認識というのは、理解してくださいというのはちょっと無理なような気がするのですよね。
日米安保体制があり、なおかつ冷戦状態があって、そんな状況ですらあの地域に戦闘部隊が配置されていない時期があったわけですね。そんな状況から見ると、今の状況というのは大きく変わっている。冷戦体制が変わってしまっているという状況じゃないか。とすれば、わざわざあそこに戦闘部隊を配置しておくという状況にはないのではないか。
つまり、いろいろな国際関係を見ておりますと、米ソ冷戦状態というのはなくなりましたけれども、依然として米というものはやっぱり全地球的な立場でいろいろと活動しておる、アメリカが出てこなければ問題が解決しない、あるいは少なくともアメリカが非常に責任ある立場をはっきりしないと解決しないと、こういう状況でありますね。
○大木浩君 今のアジア全体の安全保障という問題で、東西冷戦状態がなくなったのだから余り安保安保と言わなくてもいいじゃないかというのが国民の間にはあると思うんですね。しかし、やっぱり依然として、朝鮮半島ばかりじゃございませんけれども、いろんなところで紛争もあるし、紛争の危険もあるということです。
また、国外では、米ソ冷戦状態は激しさを増し、ベトナム戦争は泥沼の様相となり、アジアの自由主義諸国は大陸の縁に並ぶ飛び石の伝いの様子になろうとしておったのであります。 あれから四半世紀が過ぎ、その間の経済規模は、GNP四百七十兆円と約十倍にも巨大化いたしましたが、一方、国家財政は二百五十兆円という借金を抱え、そのひずみも大きくなっております。
既に世界各国の中で今東西の冷戦状態が解消し、しかしその反面、世界各国で逆に局地的な紛争が頻繁に勃発している。しかし、あるところでは停戦が完了し、そして自衛隊に対し、あるいは正確に言うならば日本国に対しまして、国際平和協力活動の要請を受けて、自衛隊の隊員がカンボジアあるいはモザンビークに出かけている。
冷戦状態が終了したということは、日米関係を奥深いところで根本的に変えつつあるんです。そのことを十分認識しないと、日米関係というのは幾ら細かい議論をやってみてもなかなか進まない。アメリカは日本という国にこの膨大な軍事基地を持つということ、日本の協力を得ること、そういうことによってアメリカは世界における一つの大きな、軍事力の行使とも言えるし、安全保障体制をつくったとも言えます。
そのポスト冷戦時代、要するに冷戦状態というのがなくなったというのは、これは一体どうしてなくなったのか。 山花大臣、社会党の幹部として、この冷戦時代が終えんしておるということはどうしてそういうことになったんだというふうに理解しておられますか。
それは何かといいますと、今の激変する国際情勢、東西冷戦状態に終止符が打たれ、今世界は新しい国際秩序を求めて動いている。その中で日本がいかに対応するか。敏速な決断、動きが求められている。そういう中で政治がそれに対応し切れていない面があるのではないか。例えば、湾岸危機のときの対応しかり、あるいはウルグアイラウンド、米の自由化の問題に関する対応しかりだと私は考えております。
それは何かといいますと、今の激変する国際情勢、東西冷戦状態に終止符が打たれ、今世界は新しい国際秩序を求めて動いている。その中で日本がいかに対応するか。敏速な決断、動きが求められている。そういう中で政治がそれに対応し切れていない面があるのではないか。例えば、湾岸危機のときの対応しかり、あるいはウルグアイ・ラウンド、米の自由化の問題に関する対応しかりだと私は考えております。